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活字中毒者のなれの果て

小説からビジネス書まで、雑食系の活字中毒者。 最近は仕事&資格取得の必要から法律の勉強中。このブログでは日々学んだことや考えたことについて書いていきたいと思っております。

他人に相談しないと決められない人と、他人のことに口出ししたがる人の共通点

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人に相談しつつ、結局意見は聞かない人、というのがいます。

本当に柔軟にいろいろな人の意見を聞いて取り入れる人ならいいのですが、困った人というのは、結局相談だけしておいて、何か言っても、「でも~」とか、「だって~」で始まり、結局解決につながりません。

よくよく聞いてみると、こういう人の会話というのは、実は相談しているようで、もとから相手の意見を聞く気はない。

自分の考えと違うアドバイスには耳を貸さないか、わざわざ反論して説得しようとします。

 

一方で、人にアドバイスするのが好きな人というのもいます。

本当に親切心からならいいのですが、困った人の場合、頼まれもしないのに、他人のやることに口出しをしてきて、他人がそれに従わないと途端に不機嫌になります。

 

この二人、一見やっていることは、他人に相談することと、他人の相談に乗ろうとすることと正反対のように見えますが、実は同じことを目指していて、だからこそうまくいかないのではないか、というのが今回の仮説です。

 

人間というのは、自分で物事を決めたいという欲求をもっています。

一方で、決めたことについて、責任を取らずに済ませたい、自分だけのせいではないことにしたい、というのも、人間の自然な心理です。

 

 

まず、人にやたらと相談したがる人の心理を考えてみます。

本来、自分が決めていいことなのだから、誰かの意見を聞く必要なんてない。

人に反対されても意見を変えないなら、初めから相談しなければいいだけの事です。

 

では、なぜそれをあえて相談するかというと、自分で決めることから逃げることができるからです。自分一人で決めたことなら、それで失敗したときは、自分一人が間違っていた、ということになります。

 

しかし、相談してお墨付きをもらっておけば、自分が決めたという責任を、相談相手にも押し付けることができてしまいます。

 

次に、人にアドバイスするのが好きな人の心理を考えてみます。

他人にアドバイスするだけなら、アドバイスに人が従わなくても、別に気にすることはありません。

では、なぜアドバイスといいつつ、人が従わないと不機嫌になるのか?

それは、アドバイスすることそれ自体が、自分は責任を負わずに物事を動かすことができる、という目的のもとに行われているからです

アドバイスした人は、最終的に相手をそれに従わせることで、自分が決めたとおりに相手を動かすことができます。いっぽうで、あくまで「アドバイス」にすぎないので、間違っていた時の責任は負う必要がありません。

 

 

だから、この二者というのは、本質的には同じ、「自分が物事を決定しておきながら、責任は負わない」という目的のもとに行動しています。

だから、この二人が会話をすると、本来相談したい人とされたい人だから一見利害が一致していそうなのに、険悪なムードになってしまいます。

相談したい人の側は、頼んでもいないのに役立たないアドバイスを押し付けられた、と感じて不愉快な思いをします。

一方で、相談された方は、相談しておいて、結局いう通りにならないなら何のために相談しに来たんだ、とこれまた不機嫌になります。

 

 

この関係というのは、結局のところ、お互いに自分が決定権を握って、責任を相手に押し付けようとするという不毛なゲームを繰り返しているだけなので、不幸な関係性にしかなりません。

 

これに陥らない方法というのは、自分で決めて、自分で責任を持つ、という原則に戻るしかありません。

アドバイスを受ける側はアドバイスとしてもちろん尊重するけれども、最終的に決めるのは自分であるという意識を持つ。一方で、アドバイスする側も、アドバイスはあくまでその人のためにして、自分のためにするわけでないこと、決めるべきはあくまで相手であって自分でないことを意識する。

 

先日の記事で上司が部下への「指導」と「指示」を分けることを推奨しましたが、上司と部下の関係も、まさにこのようなところがあるのではないかと、自戒を込めて。

 

   

 

※前回記事は多くの方に読んでいただき、ありがとうございました。この記事も、気に入っていただけましたら、是非シェアをよろしくお願いいたします。