上司の仕事は、部下に仕事をさせることよりも、仕事をさせないことにある
戦国時代や三国志を扱った歴史小説を読んでいると、よくこんなシーンがあります。
傍から見ると無謀に思える城攻めを命じる君主に対し、家臣が撤退を進言します。
君主は、その家臣を「臆病者!」と一喝して、その家臣を処断してしまいます。
家臣にしてみれば、合理的に考えて難しい城攻めで犠牲を出すよりは、潔く撤退した方がいいと進言しただけなのになんて理不尽な、というところですが、実は現代でも、会社にいると、このような状況は実はよく起こっているのではないかと思います。
部下の立場で、なにか仕事を振られたとします。
その仕事は、その仕事には色々と問題があり、利益を生み出すのは難しい仕事でした。
部下は、仕事をやってみて、その仕事に利益を生み出す見込みが無いことが分かりました。しかし、真面目な部下は、言われた仕事を忠実にこなそうと努力しました。
しかし、元々無理のある仕事なのですから、個人の頑張りで利益があがるものではありません。そのため、結局その部下は成果を挙げられず、赤字になってしまいました。
この部下の行動は、部下の立場からすると、何ら間違ったことはしていません。
振られた仕事を最後まで完遂しようと努力することは、賞賛されこそすれ、責められることではないでしょう。
だからこそ、真面目な部下ほど、振られた仕事は最後までやる、という行動を取ります。
しかし、この行動、部署全体としてみたら、リソースの無駄な消費になってしまいます。何しろ、元々無理のある仕事に、真面目で能力の高い社員が忙殺されてしまうことは、部署全体の成果を考えた時、マイナスでしかありません。
一方、こういう時、「経営者目線を持った」部下ほど、現場でその仕事に見込みが無いことがわかってきますから、上司に対し、撤退を進言するようになります。
上司の立場としては、内心で自分の誤りがわかっていたとしても認めたくないから、ついつい諦めるな、などと精神論を交えて説教した挙句に、部下について、「臆病者!」と罵ってしまいます。
そして、挙げ句の果てには、あいつに任せたのが失敗だった。言い訳ばかりして根性がない、すぐ諦めてしまって、やる気がないなどと、結局部下の方に責任転嫁をしてしまいます。
本来、こういう時は上司が引きどきを見極めて、仕事から手を引くように指示しなければいけません。
しかし、上司の立場としては、いったん始めた仕事を辞めるように指示することは、それまでの自分の誤りを認めることになるので、なかなか踏ん切りをつけられません。
だからこそ、上司としては、部下に仕事をふることよりも、むしろ、うまく損切りをして、部下のリソースを無駄に消費させないことを考える必要があります。
そして、上司に、このような判断を的確にできるという信頼がいったん形成されれば、部下としても、余計なことを考えずに、仕事を完遂することだけを考えれば良いので、結果的にうまく仕事が回っていくようになります。
一方、上司が損切りをできないでいると、真面目な部下は無駄な仕事を抱え込み成果をあげられず、経営者目線を持った部下は冷遇され、最後に残るのは、不真面目で当事者意識のない部下ばかりになってしまいます。
そして、最後に残った上司は、部下の無能を嘆き続けることになります。
そして、そのような状態だと、利益が上がらないのでさらに効率の悪い仕事でも手を出さざるを得ず、という悪循環が続き、やがてはブラック企業化してしまうかもしれません。
最近では「働き方改革」がいわれて、長時間労働の是正が議論されていますが、大本はこのような形で、無駄な仕事を組織の力学で続けていることにあるのではないかと思います。
そのため、改めて、「やればできる」「言い訳をするな」といった精神論よりも、「ムリなものはムリ」とはっきり判断することを良しとする文化を形成することが必要なのではないかと考えます。
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