上司が部下になんでも「自分で考えろ」といってしまうのは、自分で考えていなかったことのあらわれである
たとえば、車が右側通行か左側通行か、という問題を考えてみます。
もちろん、どっちがいいのか、というのは、厳密に考えればあるのかもしれません。車の運転席の位置、右折と左折の時の効率、乗り降りのしやすさ等。
しかし、それより重要なのは、どちらかに統一されている、ということです。
もし、各運転者に対し、道の右側を通るか左側を通るののどちらがいいか、「自分で考えろ」とだけいって判断を丸投げしたのでは、おそらく交通は大混乱してしまうでしょう。
だから、運転者に委ねるのではなく、国のほうで左側通行に決めてしまう。
この時、別に右側通行が間違っていて左側通行が正しい、ということではありません。ただ、どちらかに決まっていないと不便だから、便宜的にそう決める、というだけのことです。
これは「調整問題」といってたまたま↓の憲法の本を読んでいるときに出てきた話ですが、このようなことは、会社でもよく起こるし、そのことを認識していないと、コミュニケーションギャップが生まれるのではないか、という仮説です。
会社でも、たとえば書式をどうするか、業務フローをどうするかなどのルールは、実際に何が効率的かというよりも、とりあえず決めておかなければ非効率なので、とりあえずこう決めてしまいましょう、というルールがたくさんあります。
ただ、問題は、会社でルールを決めるとき、往々にして、「どっちでもいい」は禁句になりがちだということです。
細かいルールやマニュアルの策定をするとき、実際にはどちらでもいいようなことであっても、提案をする側としては、どちらかに決めた上で提案しなければなりません。
そして、上の人間や他の部署に提案の説明をしようとするとき、「どっちでもいい」とはいえません。当然十分に検討して提案した、という風に見せなければいけませんので、どちらでもいいようなことであっても、何かしらこじつけに近い適当な理由をつけてでも、自分の提案が他よりも優れている、と意見を表明しなければなりません。
だから、たとえば、仕事の進め方を決める際も、提案する側は、「どうでもいいことだけれど」などとは前置きせず、こうするのが一番仕事が速いです、といってマニュアルを提案して、特に異議が出なければそのマニュアルが「一番優れた」ものとして受け入れられ、それが社内ルールとして定着していきます。
そして、自分で考えることなく、ただ人のいうことに従っているだけの人間にとっては、そのことはわかりません。適当な理由付けを鵜呑みにして、「これが一番優れたやり方なんだ」と盲信するだけになっていまいます。
そのような人間が上司になって後輩を指導する立場になった時に、「自分で考えろ」ばかりいって、後で文句をつけるという問題が生じてしまいます。
上司の立場からすると、今使っているマニュアルに書かれた仕事の進め方は、一番優れたものを採用していると信じています。
だから、部下が自分で考えて、一番いいと思うやり方をすれば、自ずといま採用しているのと同じやり方にたどり着くはずだと信じてしまいます。
このような上司は、「自分で考えて、最も優れたやり方である今の会社と同じ結論に到達せよ」という意味で、「自分で考えろ」と言ってしまいます。
ところが、新しく入った部下の立場からすると、そのようなことはわかりません。
先の車の例でいえば、左側通行が優れているのか右側通行が優れているのかを自分で考えろ、といわれても困ってしまいます。
ところが、上司の立場からすると、よく考えれば、今のやり方にたどり着けると信じていることの裏返しで、辿りつけないということは、部下がよく考えていないことであると一方的に決めつけてしまいます。
そして、よく考えていない人を叱責するのは当然のこととして叱責するので、部下からみた現象としては、上司が「自分で考えろ」といっておいて、実際に部下が自分で考えて行動すると後で文句をつける、という行動に出ると、不満を持たれることになってしまいます。
上司が本当に自分で考えたことのある人間なら、実は自分で考えてもわからないことがあるということはわかっています。
車の通行について、右側通行がいいか左側通行がいいかということは、皆の意見が一致するなどということはありえませんし、自分でその問題を本当に考えたことがあれば、皆の意見が一致するわけでないこともわかります。
だから、初めから明確に指示しておかなければ知らない人にはわからない、ということが容易に想像できます。
だから、「自分で考えろ」というべきこととそうでないことの峻別が容易にできます。
だから、上司の立場になった時、考えてもわからないことを「自分で考えろ」といってしまう原因は、実は、それまで自分で考えずに、実は適当にすぎない提案や、すでに決まったことを鵜呑みにしていただけではないか、ということを、ふと考えさせられたので、自戒を込めて。
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