活字中毒者のなれの果て

小説からビジネス書まで、雑食系の活字中毒者。 最近は仕事&資格取得の必要から法律の勉強中。このブログでは日々学んだことや考えたことについて書いていきたいと思っております。

職場でコミュニケーション能力が低いと評価されているならば、転職を考えるべきである

 

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まず、コミュニケーション能力という言葉がなぜ使われるかについて考えてみます。

 

上司が部下の人事評価をするとき、好き嫌いを挟んではいけない、という建前があります。

人事評価というのは仕事として行うものですから当然のことです。

 

その一方で、人間なのだから、人に対する好き嫌いがあるのは当然だし、自分が好きな人は評価し、嫌いな人は評価しない、としたいのも人情です。

 

そういう時に便利な言葉として、「コミュニケーション能力」という言葉が生み出されたのではないか、というのが今回の仮説です。

 

まさか人事評価を説明するときに、あいつが嫌いだから、という評価はできません。

だから、自分が不快な気持ちになる=自分と上手くコミュニケーションができない=コミュニケーション能力が低いという論理で、コミュニケーション能力が低いから低評価をする、という説明をします。

そして、会社の上層部もまた、一番日常的に接している上司の評価を信用するよりありません。そのため、上司とうまくやれる人が出世し、さらに人事評価の権限を握ることになります。

 

このようなやり方をすると、同質な人ばかりが集まることになります。

一般的には、人は自分と違うタイプよりも自分と似た考え方、タイプの人間を好みます。そのため、上記のプロセスにおいて、「コミュニケーション能力が高い」という評価を受けるのは、結局のところ上司と同じようなタイプ、考え方の人間になってしまいがちです。

そして、その人が人事評価において高い評価を受けて出世するということは、さらにその人と同質の人が、「コミュニケーション能力が高い」という評価を受けることになる、ということを意味します。

 

すると、結局、その会社で出世する人には一定の傾向が出てきます。

そして、出世できない人は、やがて会社を去ることになるかもしれません。

 

これが、一概に悪いことかといいうと、必ずしもそうではないのかもしれません。

むしろ、会社の理念を社員に浸透させるという点では、自然に考え方の合う人が会社に残り、出世していくという点で、優れたシステムかもしれません。

例えば、成功したベンチャー企業の社長さんなどにはよく、採用は自分の好みで決める、という方がいます。考え方が似ている人を集める、というのは、ベンチャーのように少人数で一致団結して、という方針を取るには向いている戦略なのでしょう。

 

現在、よくダイバーシティ(多様化)が叫ばれていますが、そのためにはこういった状態は障害になります。せっかく多様な価値観・タイプの人を集めても、結局出世するのはすでにいる上司と同じタイプの人ばかり、となってしまったのでは、掛け声倒れになってしまいます。

 

しかも、その時に起こる問題は、なかなか目に止まりません。

コミュニケーション能力の高低が、実は会社(上司)に合う合わないの問題であると認識されていれば、意図的に改善することが可能です。

しかし、そうではなく、「能力」の問題としてしまうと、能力の有る人を重用しているだけで問題ないとされてしまいがちです。

 

そうして、一番不幸になるのは、低評価を受ける社員の側です。

実際は単に会社に合う合わないの問題にすぎないのに、まるで汎用的な能力としての「コミュニケーション能力」が足りないとされた結果、自分が半人前であるかのような錯覚に陥り、無理に自分と合わない環境に適応しようとすることを強いられることになってしまいます。

しかも、表向きは「ダイバーシティ」が掲げられ、機会が均等であるかのような掛け声があるから、評価されない、というのは自分の責任であると考えざるをえない状況になります。

 

本来、個人の資質ではなく、実際は会社に合う合わないの問題であるという認識があれば、合わない会社はやめて、自分に合う会社を見つけるために転職する、という選択肢を検討することができますし、そうやって合う会社を見つけるのが、最終的には一番幸福になる方法なのではないでしょうか。

 

ふしぎなもので、自分自身、前職ではコミュニケーション能力が低い、という評価を受けていたのに、転職した結果、なぜか「コミュニケーション能力が高い人」として評価されています。

考えてみれば、実際、会社ではあまり周りと上手くいっていなくても、プライベートでは充実している、という人はたくさんいます。

もっと遡って学生の頃を考えてみても、部活を変えたら居場所ができたり、クラスが変わるといきなり勢力図が変わって、それまで浮いていた人が活発になったり、といった例はよくあります。

もし、コミュニケーションがその人の汎用的な「能力」の問題だとしたら、こういった現象は説明がつきません。

 

昔のように終身雇用の時代だと、会社と合わないから辞める、ということ自体が簡単なことではなかったのでしょうが、現在は、転職サービスも充実していて、自分のある程度の評価を予め知ることのできるサービスもありますし、エージェントの方は、会社の社風も含めて向いている企業を勧めてきますから、新卒の就活の時よりは遥かに自分にあった会社に転職できる可能性は高いでしょう。

 

そのため、もし会社で「コミュニケーション能力が低い」とされている人は、転職活動をしてみる、というのは、状況を変えるきっかけになるのではないかと思います。

 

※たとえば、このサイトでは、自分の学歴、経歴をもとに、自分の転職市場での価値を算定してもらえます。今の自分の評価が客観的に見て高いのか低いのか、確認してみるのもいいかもしれません。

 

 

なお念のため、誤解のないように付け加えておきます。

本来、私は、コミュニケーション能力という言葉は、自分と異質な人とのコミュニケーションを取る能力という意味だと考えています。その限りであれば、評価の対象とする事自体は意味があるのではないかと思います。

それを、上司とうまくやれるかという、偏った基準をもとに評価しようとするから言葉の意味がおかしくなっただけで、コミュニケーション能力という言葉自体を否定するものではないので、念のため。

 

 

※前回記事は多くの方に読んでいただき、ありがとうございました。この記事も、気に入っていただけましたら、是非シェアをよろしくお願いいたします。