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活字中毒者のなれの果て

小説からビジネス書まで、雑食系の活字中毒者。 最近は仕事&資格取得の必要から法律の勉強中。このブログでは日々学んだことや考えたことについて書いていきたいと思っております。

「なるべく」という言葉が、業務の効率化を妨げる

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上司が部下に指示を出す時、「なるべく」というのは便利な言葉です。

 

例えば書類の作成を指示するとき、「なるべくいいものを」「なるべく早く提出して」といえば、指示したような体裁は取れてしまいます。

本来「なるべく」というのは、無理であればできる範囲でいいよ、という意味も含みますから、むしろ部下の都合に配慮しているようにも見えて、無理でも何でもやれ、という指示よりも、むしろ部下思いのように見えます。

 

しかし、実際には、この言葉を多用していると、かえって部下の非効率な業務を増やし、往々にして長時間労働を招いてしまいます。

 

その言葉をかけた結果出来上がってきた書類が必要とするクオリティに達していなければ、当然、注意の上、やり直しを命じるよりありません。

 

部下の立場からすると、誰でも怒られたり評価が下がったりするのは嫌ですから、次からは、「なるべくいいものを」といわれたら、結局、無理してでも完璧なものを、なるべく早く作成しようとするしかありません。そのため、結局、本来どうでもいいところまで気を配って時間をかけて、結局長時間労働を招くことになってしまいます。

 

ところが、そうやって時間をかけていると、今度は、「なるべく早く」といっていたのに、想定しているよりも時間がかかっているので、催促せざるを得なくなってしまいます。

その結果、結局部下としては、残業してでも早く仕事を完了させなければならず、労働時間の長時間化を招いてしまいます。

しかも、このことに、上司は通常気づいていません。

むしろ、最初に「なるべく」といって、そこまで無理しなくていいといっているのに、なぜ残業してまでやるんだろう、と不思議に思いますし、それが続くと、自分の指示の問題には気づかない今ま仕事が遅い、無駄な残業が多いと叱責することになります。

 

この状況が悪化すると、サービス残業や仕事の持ち帰りといったブラック企業化が始まってしまいます。

 

そうはいいつつも、実際に部下に指示を出す側になってみると、わかりやすい指示を出すというのは難しいもので、私自身も、色々と試行錯誤をしながらやっているところです。

そんなことで悩んでいる時に、ふと、2年ほど前に読んだ本が、Amazonの読み放題サービスに入っていたのを見つけたので、読み返してみました。

 

 以前に読んだ時にはあまり気にしなかったのですが、この本、単なるコンサルタント向けの知的生産術、という以外にも、このようなマネジメントで悩む人にとっても、非常に有用な内容が多く含まれています。

特に、上で書いたような、「なるべく」という指示について、「ダメな指示の典型」、「もっとも避けなければならないのが、『なる早で』という指示」などとした上で、「指示は『行動』でなく『問い』で出す」というポイントを提示してくれます。

 

私も早速試してみましたが、これを実践しようと思うと、自分自身がよくよく考えなければいけない。何が問題なのか、ということがわかっていなければ、適切な問いを投げかけることもできません。

逆に言えば、それまで、自分自身よくわかっていないまま指示を出していたということでもあるわけで、反省しなければならない、と改めて感じさせられました。

 

そういえば、この本には、こんな一節がありました。

しかし残念ながら、こういう指示を出す管理職やリーダーが少なくない。おそらく本人自身がそういうブルドーザーのような非効率な仕事をやってきたのでしょう、典型的な「頑張っているのに評価されない」とグチをこぼすタイプです。こういう人は自分そういうつらい経験をしてきたので、同僚や部下にも同じことを強いるというとても困った傾向があります。

 

実に耳の痛い言葉ですが、改めて、自分の頭で考える、ということの重要性を実感させられる本でした。

自分はコンサルではないから関係ない、と思っていた管理職の方などにも役立つ内容が含まれていますので、ぜひご一読されることをお勧めいたします。

 

 ※前回記事は多くの方に読んでいただき、ありがとうございました。この記事も、気に入っていただけましたら、是非シェアをよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

業務効率化を進めたいなら、業務改善という言葉を使ってはいけない

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最近、働き方改革がいわれ、無駄な業務を削減するなどして、業務の効率化を進めよう、という動きが進んでいます。

業務の効率化そのものに対して表立って反対する人というのは、あまりいません。

 

しかし、実際に、業務の効率化を進めようとすると、なぜか無駄な業務に見えても本当は大事なんだ、そうやって手抜きをしようとするなんてとんでもない、それで何かトラブルが起きたらお前が責任取れるのか、など、抵抗勢力の反対にあって頓挫してしまうということが多いのではないでしょうか。

 

まず、なぜこういう現象が起こるかについて考えてみます。

もともと、トヨタの「カイゼン」のように、無駄を省き、効率化を推し進めるのは、むしろ日本企業の専売特許でした。

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だから、今会社の上層部にいる人達は、無駄は悪、という価値観自体はすでに持っています。だから、一般論として無駄をなくしましょう、というと、諸手を上げて賛成はしてくれます。

 

ところが一方で、昔から無駄は悪、という価値観を持っているということは、自分のやってきたことを無駄だったと言われたくない、ということでもあります。

この意識が、業務改善への抵抗勢力を生み出します。

 

「改善」という言葉は、悪いものを、いいものに改めるという意味を含んでいます。

そのため、業務改善のために無駄な仕事をなくします、といってしまうと、元々会社にいた人たちにとっては、それまで自分たちのやってきた仕事が無駄なものだった、悪いものだったといわれることでもあります。

 

そうやって自分の仕事を否定されれば当然面白くない。

だけれども、まさか面白くないから反対とはいいません。そこで、反論できないような理由を見つけてきます。性質が悪いのが、その人達は実際に長くその仕事をやってきていますから、もっともらしい理由は説明できますし、仕事を減らす、ということには、手抜きと文句をつけることは常にできます。

また、今までそれなりに上手く言っているやり方を変えるということは、リスクを伴うのも事実ですから、その責任を誰が取るのか、という問題も付きまとってきます。

そうやって、実際には無駄な仕事であっても、無駄だからやめましょう、というと、それを認めたくない勢力の抵抗にあって、うまくいかなくなってしまいます。

 

だから、業務の効率化を進めていこうと思ったら 、間違っても、「業務改善」という言葉は使ってはいけません。

自分は、そういう時、「改善」ではなく、「適応」という言葉で説明するようにしています。

たとえば、先日も、会計管理に、【会計ソフトfreee(フリー)】 を導入しよう、という提案をしたのですが、この時も、それまでのやり方を否定するものではない、ということはしつこく説明しています。

「今までは、会計ソフトを使うにしても結局入力が面倒だったり、価格が高かったりとかえって高コストになってしまうので、税理士に丸投げのほうがかえって楽でした。でも、今は技術も進歩して、無料でクラウド会計ソフトが導入できるようになったんですよ。だから、技術の進歩に適応するために、新しく取り入れませんか」と言った風に。

 

こうやって、それまでのやり方を認めてあげるというだけで、反対していた人たちも賛成に回ってくれるのだから、不思議なものです。

よく「老害」の反対にあって業務改善が進まない、といった話を聞きますが、だいたいそういう老害といわれる人たちは、自分のそれまでの仕事を否定されるのを非常に嫌うので、現状をいったん肯定した上で、状況が変わった、ということを説明してあげる、ということが非常に有効なようです。

 

職場の改善を妨げる「老害」にお困りの方は、是非試してみてください。

 

 

  ※前回記事は多くの方に読んでいただき、ありがとうございました。この記事も、気に入っていただけましたら、是非シェアをよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

管理部門の人間こそ、外部に目を向けるべきである

 

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現在、法務を中心にしつつ、管理部門全般の仕事をしています。

もともとは企画の仕事をしていたのですが、会社が大きくなってきたので、管理部門の人間を一人置こう、ということで管理部門に回ってきました。

 

管理部門というと地味ですが,非常に神経を使う仕事。

この仕事をやってみて思うのが、この仕事は、企画とは正反対で、他と同じであることこそ価値があり、だからこそ、常に情報を収集していなければいけない、ということです。

 

何か会社で企画をするとき、他社を参考にするということはよくあります。

しかし、参考にするとしても、それをそのまま真似てしまったのでは、特許や商標、著作権といった、法的な問題に発展しかねませんし、そこまで行かなくても、他人の真似をしただけでは、オリジナルとの競争に勝つのは難しいでしょう。だから、人真似というのはあまり歓迎されません。

 

しかし、直接お客を相手にしない管理部門では、別にそうではありません。少なくとも、公開されているノウハウや書式であれば、社内で使用することに問題はありません。

いや、問題がないどころか、他からくる人を受け入れるという観点からは、中身がいい悪いよりもむしろ、他と同じであることによって、他社から人材を獲得しやすくなるというメリットも有ります。また、役所等の外部に書類を見せる必要が生じた時も、他と同じような書式、ルールであることで、余計な説明がなくとも話を通しやすくなります。

むしろ、前回記事の話ではないですが、一から「自分で考えて」仕組みを作ろうとすると、様々な社内調整の結果、意図せず仕組みがガラパゴス化して、他から来た人を混乱させる結果になってしまいかねません。

 

だから、もちろん自社の状況に応じてやり方を変えることは必要だけれども、少なくとも、周囲の状況や、スタンダードなやり方が何なのか、ということはわかっていないと会社全体に迷惑がかかってしまいます

 

そのため、実は外部と接触する機会のない管理部門の人間こそ、積極的に社外に目を向けて、情報を得るようにしておかないといけないのでは、と思うようになりました。

 

たとえば、自分は最近出来たばかりのサイトですが、Manegy[マネジー] というサイトを利用しています。

 

このサイト、色々な機能があり、たとえば専門家への質問を見ると、自分が悩んでいるのと同じような悩みがすでに質問されていたり、自分で質問することもできたりと、非常に役に立ちます。

 

中でも一番役に立つのが、専門家テンプレート機能です。

書式を探すのによくネットで検索するのですが、ネット上の書式というのは誰が作ったかもわからないし、よくわからずに使うのは怖い。

その点ここに掲載されているテンプレートは、弁護士、税理士、社労士といった専門職の方々が、自分の名前を出した上で公表しているものです。そのため、非常に信頼度が高い。

自分も、今度株主総会があるので、総会用の委任状の書式をダウンロードさせていただきましたが、これなどは、特に直さなくてもそのまま社名だけ入れれば使えて、非常に役に立ちました。

 

書式まで使わなくとも、無料登録してトピックを読むだけで、ポイントを貯めて商品と交換できるようなので、同じく管理部門でお仕事をされている方は、是非お試し下さい。

 

 

 ※前回記事は多くの方に読んでいただき、ありがとうございました。この記事も、気に入っていただけましたら、是非シェアをよろしくお願いいたします。

 

 

 

上司が部下になんでも「自分で考えろ」といってしまうのは、自分で考えていなかったことのあらわれである

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たとえば、車が右側通行か左側通行か、という問題を考えてみます。

もちろん、どっちがいいのか、というのは、厳密に考えればあるのかもしれません。車の運転席の位置、右折と左折の時の効率、乗り降りのしやすさ等。

 

しかし、それより重要なのは、どちらかに統一されている、ということです。

もし、各運転者に対し、道の右側を通るか左側を通るののどちらがいいか、「自分で考えろ」とだけいって判断を丸投げしたのでは、おそらく交通は大混乱してしまうでしょう。

 

だから、運転者に委ねるのではなく、国のほうで左側通行に決めてしまう。

この時、別に右側通行が間違っていて左側通行が正しい、ということではありません。ただ、どちらかに決まっていないと不便だから、便宜的にそう決める、というだけのことです。

 

これは「調整問題」といってたまたま↓の憲法の本を読んでいるときに出てきた話ですが、このようなことは、会社でもよく起こるし、そのことを認識していないと、コミュニケーションギャップが生まれるのではないか、という仮説です。

 

会社でも、たとえば書式をどうするか、業務フローをどうするかなどのルールは、実際に何が効率的かというよりも、とりあえず決めておかなければ非効率なので、とりあえずこう決めてしまいましょう、というルールがたくさんあります。

 

ただ、問題は、会社でルールを決めるとき、往々にして、「どっちでもいい」は禁句になりがちだということです。

細かいルールやマニュアルの策定をするとき、実際にはどちらでもいいようなことであっても、提案をする側としては、どちらかに決めた上で提案しなければなりません。

そして、上の人間や他の部署に提案の説明をしようとするとき、「どっちでもいい」とはいえません。当然十分に検討して提案した、という風に見せなければいけませんので、どちらでもいいようなことであっても、何かしらこじつけに近い適当な理由をつけてでも、自分の提案が他よりも優れている、と意見を表明しなければなりません。

 

だから、たとえば、仕事の進め方を決める際も、提案する側は、「どうでもいいことだけれど」などとは前置きせず、こうするのが一番仕事が速いです、といってマニュアルを提案して、特に異議が出なければそのマニュアルが「一番優れた」ものとして受け入れられ、それが社内ルールとして定着していきます。

 

そして、自分で考えることなく、ただ人のいうことに従っているだけの人間にとっては、そのことはわかりません。適当な理由付けを鵜呑みにして、「これが一番優れたやり方なんだ」と盲信するだけになっていまいます。

そのような人間が上司になって後輩を指導する立場になった時に、「自分で考えろ」ばかりいって、後で文句をつけるという問題が生じてしまいます。

 

上司の立場からすると、今使っているマニュアルに書かれた仕事の進め方は、一番優れたものを採用していると信じています。

だから、部下が自分で考えて、一番いいと思うやり方をすれば、自ずといま採用しているのと同じやり方にたどり着くはずだと信じてしまいます。

このような上司は、「自分で考えて、最も優れたやり方である今の会社と同じ結論に到達せよ」という意味で、「自分で考えろ」と言ってしまいます。

 

ところが、新しく入った部下の立場からすると、そのようなことはわかりません。

先の車の例でいえば、左側通行が優れているのか右側通行が優れているのかを自分で考えろ、といわれても困ってしまいます。

 

ところが、上司の立場からすると、よく考えれば、今のやり方にたどり着けると信じていることの裏返しで、辿りつけないということは、部下がよく考えていないことであると一方的に決めつけてしまいます。

そして、よく考えていない人を叱責するのは当然のこととして叱責するので、部下からみた現象としては、上司が「自分で考えろ」といっておいて、実際に部下が自分で考えて行動すると後で文句をつける、という行動に出ると、不満を持たれることになってしまいます。

 

上司が本当に自分で考えたことのある人間なら、実は自分で考えてもわからないことがあるということはわかっています。

車の通行について、右側通行がいいか左側通行がいいかということは、皆の意見が一致するなどということはありえませんし、自分でその問題を本当に考えたことがあれば、皆の意見が一致するわけでないこともわかります。

だから、初めから明確に指示しておかなければ知らない人にはわからない、ということが容易に想像できます。

だから、「自分で考えろ」というべきこととそうでないことの峻別が容易にできます。

 

だから、上司の立場になった時、考えてもわからないことを「自分で考えろ」といってしまう原因は、実は、それまで自分で考えずに、実は適当にすぎない提案や、すでに決まったことを鵜呑みにしていただけではないか、ということを、ふと考えさせられたので、自戒を込めて。

 

   

 

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職場でコミュニケーション能力が低いと評価されているならば、転職を考えるべきである

 

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まず、コミュニケーション能力という言葉がなぜ使われるかについて考えてみます。

 

上司が部下の人事評価をするとき、好き嫌いを挟んではいけない、という建前があります。

人事評価というのは仕事として行うものですから当然のことです。

 

その一方で、人間なのだから、人に対する好き嫌いがあるのは当然だし、自分が好きな人は評価し、嫌いな人は評価しない、としたいのも人情です。

 

そういう時に便利な言葉として、「コミュニケーション能力」という言葉が生み出されたのではないか、というのが今回の仮説です。

 

まさか人事評価を説明するときに、あいつが嫌いだから、という評価はできません。

だから、自分が不快な気持ちになる=自分と上手くコミュニケーションができない=コミュニケーション能力が低いという論理で、コミュニケーション能力が低いから低評価をする、という説明をします。

そして、会社の上層部もまた、一番日常的に接している上司の評価を信用するよりありません。そのため、上司とうまくやれる人が出世し、さらに人事評価の権限を握ることになります。

 

このようなやり方をすると、同質な人ばかりが集まることになります。

一般的には、人は自分と違うタイプよりも自分と似た考え方、タイプの人間を好みます。そのため、上記のプロセスにおいて、「コミュニケーション能力が高い」という評価を受けるのは、結局のところ上司と同じようなタイプ、考え方の人間になってしまいがちです。

そして、その人が人事評価において高い評価を受けて出世するということは、さらにその人と同質の人が、「コミュニケーション能力が高い」という評価を受けることになる、ということを意味します。

 

すると、結局、その会社で出世する人には一定の傾向が出てきます。

そして、出世できない人は、やがて会社を去ることになるかもしれません。

 

これが、一概に悪いことかといいうと、必ずしもそうではないのかもしれません。

むしろ、会社の理念を社員に浸透させるという点では、自然に考え方の合う人が会社に残り、出世していくという点で、優れたシステムかもしれません。

例えば、成功したベンチャー企業の社長さんなどにはよく、採用は自分の好みで決める、という方がいます。考え方が似ている人を集める、というのは、ベンチャーのように少人数で一致団結して、という方針を取るには向いている戦略なのでしょう。

 

現在、よくダイバーシティ(多様化)が叫ばれていますが、そのためにはこういった状態は障害になります。せっかく多様な価値観・タイプの人を集めても、結局出世するのはすでにいる上司と同じタイプの人ばかり、となってしまったのでは、掛け声倒れになってしまいます。

 

しかも、その時に起こる問題は、なかなか目に止まりません。

コミュニケーション能力の高低が、実は会社(上司)に合う合わないの問題であると認識されていれば、意図的に改善することが可能です。

しかし、そうではなく、「能力」の問題としてしまうと、能力の有る人を重用しているだけで問題ないとされてしまいがちです。

 

そうして、一番不幸になるのは、低評価を受ける社員の側です。

実際は単に会社に合う合わないの問題にすぎないのに、まるで汎用的な能力としての「コミュニケーション能力」が足りないとされた結果、自分が半人前であるかのような錯覚に陥り、無理に自分と合わない環境に適応しようとすることを強いられることになってしまいます。

しかも、表向きは「ダイバーシティ」が掲げられ、機会が均等であるかのような掛け声があるから、評価されない、というのは自分の責任であると考えざるをえない状況になります。

 

本来、個人の資質ではなく、実際は会社に合う合わないの問題であるという認識があれば、合わない会社はやめて、自分に合う会社を見つけるために転職する、という選択肢を検討することができますし、そうやって合う会社を見つけるのが、最終的には一番幸福になる方法なのではないでしょうか。

 

ふしぎなもので、自分自身、前職ではコミュニケーション能力が低い、という評価を受けていたのに、転職した結果、なぜか「コミュニケーション能力が高い人」として評価されています。

考えてみれば、実際、会社ではあまり周りと上手くいっていなくても、プライベートでは充実している、という人はたくさんいます。

もっと遡って学生の頃を考えてみても、部活を変えたら居場所ができたり、クラスが変わるといきなり勢力図が変わって、それまで浮いていた人が活発になったり、といった例はよくあります。

もし、コミュニケーションがその人の汎用的な「能力」の問題だとしたら、こういった現象は説明がつきません。

 

昔のように終身雇用の時代だと、会社と合わないから辞める、ということ自体が簡単なことではなかったのでしょうが、現在は、転職サービスも充実していて、自分のある程度の評価を予め知ることのできるサービスもありますし、エージェントの方は、会社の社風も含めて向いている企業を勧めてきますから、新卒の就活の時よりは遥かに自分にあった会社に転職できる可能性は高いでしょう。

 

そのため、もし会社で「コミュニケーション能力が低い」とされている人は、転職活動をしてみる、というのは、状況を変えるきっかけになるのではないかと思います。

 

※たとえば、このサイトでは、自分の学歴、経歴をもとに、自分の転職市場での価値を算定してもらえます。今の自分の評価が客観的に見て高いのか低いのか、確認してみるのもいいかもしれません。

 

 

なお念のため、誤解のないように付け加えておきます。

本来、私は、コミュニケーション能力という言葉は、自分と異質な人とのコミュニケーションを取る能力という意味だと考えています。その限りであれば、評価の対象とする事自体は意味があるのではないかと思います。

それを、上司とうまくやれるかという、偏った基準をもとに評価しようとするから言葉の意味がおかしくなっただけで、コミュニケーション能力という言葉自体を否定するものではないので、念のため。

 

 

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上司の仕事は、部下に仕事をさせることよりも、仕事をさせないことにある

 

 

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戦国時代や三国志を扱った歴史小説を読んでいると、よくこんなシーンがあります。

傍から見ると無謀に思える城攻めを命じる君主に対し、家臣が撤退を進言します。

君主は、その家臣を「臆病者!」と一喝して、その家臣を処断してしまいます。

 

家臣にしてみれば、合理的に考えて難しい城攻めで犠牲を出すよりは、潔く撤退した方がいいと進言しただけなのになんて理不尽な、というところですが、実は現代でも、会社にいると、このような状況は実はよく起こっているのではないかと思います。

 

部下の立場で、なにか仕事を振られたとします。

その仕事は、その仕事には色々と問題があり、利益を生み出すのは難しい仕事でした。

部下は、仕事をやってみて、その仕事に利益を生み出す見込みが無いことが分かりました。しかし、真面目な部下は、言われた仕事を忠実にこなそうと努力しました。

しかし、元々無理のある仕事なのですから、個人の頑張りで利益があがるものではありません。そのため、結局その部下は成果を挙げられず、赤字になってしまいました。

この部下の行動は、部下の立場からすると、何ら間違ったことはしていません。

振られた仕事を最後まで完遂しようと努力することは、賞賛されこそすれ、責められることではないでしょう。

だからこそ、真面目な部下ほど、振られた仕事は最後までやる、という行動を取ります。

しかし、この行動、部署全体としてみたら、リソースの無駄な消費になってしまいます。何しろ、元々無理のある仕事に、真面目で能力の高い社員が忙殺されてしまうことは、部署全体の成果を考えた時、マイナスでしかありません。

 

 

一方、こういう時、「経営者目線を持った」部下ほど、現場でその仕事に見込みが無いことがわかってきますから、上司に対し、撤退を進言するようになります。

 

上司の立場としては、内心で自分の誤りがわかっていたとしても認めたくないから、ついつい諦めるな、などと精神論を交えて説教した挙句に、部下について、「臆病者!」と罵ってしまいます。

そして、挙げ句の果てには、あいつに任せたのが失敗だった。言い訳ばかりして根性がない、すぐ諦めてしまって、やる気がないなどと、結局部下の方に責任転嫁をしてしまいます。

 

 

 

本来、こういう時は上司が引きどきを見極めて、仕事から手を引くように指示しなければいけません。

しかし、上司の立場としては、いったん始めた仕事を辞めるように指示することは、それまでの自分の誤りを認めることになるので、なかなか踏ん切りをつけられません。

 だからこそ、上司としては、部下に仕事をふることよりも、むしろ、うまく損切りをして、部下のリソースを無駄に消費させないことを考える必要があります。

 

そして、上司に、このような判断を的確にできるという信頼がいったん形成されれば、部下としても、余計なことを考えずに、仕事を完遂することだけを考えれば良いので、結果的にうまく仕事が回っていくようになります。

 

一方、上司が損切りをできないでいると、真面目な部下は無駄な仕事を抱え込み成果をあげられず、経営者目線を持った部下は冷遇され、最後に残るのは、不真面目で当事者意識のない部下ばかりになってしまいます。

 

そして、最後に残った上司は、部下の無能を嘆き続けることになります。

 

 そして、そのような状態だと、利益が上がらないのでさらに効率の悪い仕事でも手を出さざるを得ず、という悪循環が続き、やがてはブラック企業化してしまうかもしれません。

 

最近では「働き方改革」がいわれて、長時間労働の是正が議論されていますが、大本はこのような形で、無駄な仕事を組織の力学で続けていることにあるのではないかと思います。

そのため、改めて、「やればできる」「言い訳をするな」といった精神論よりも、「ムリなものはムリ」とはっきり判断することを良しとする文化を形成することが必要なのではないかと考えます。

 

 

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他人に相談しないと決められない人と、他人のことに口出ししたがる人の共通点

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人に相談しつつ、結局意見は聞かない人、というのがいます。

本当に柔軟にいろいろな人の意見を聞いて取り入れる人ならいいのですが、困った人というのは、結局相談だけしておいて、何か言っても、「でも~」とか、「だって~」で始まり、結局解決につながりません。

よくよく聞いてみると、こういう人の会話というのは、実は相談しているようで、もとから相手の意見を聞く気はない。

自分の考えと違うアドバイスには耳を貸さないか、わざわざ反論して説得しようとします。

 

一方で、人にアドバイスするのが好きな人というのもいます。

本当に親切心からならいいのですが、困った人の場合、頼まれもしないのに、他人のやることに口出しをしてきて、他人がそれに従わないと途端に不機嫌になります。

 

この二人、一見やっていることは、他人に相談することと、他人の相談に乗ろうとすることと正反対のように見えますが、実は同じことを目指していて、だからこそうまくいかないのではないか、というのが今回の仮説です。

 

人間というのは、自分で物事を決めたいという欲求をもっています。

一方で、決めたことについて、責任を取らずに済ませたい、自分だけのせいではないことにしたい、というのも、人間の自然な心理です。

 

 

まず、人にやたらと相談したがる人の心理を考えてみます。

本来、自分が決めていいことなのだから、誰かの意見を聞く必要なんてない。

人に反対されても意見を変えないなら、初めから相談しなければいいだけの事です。

 

では、なぜそれをあえて相談するかというと、自分で決めることから逃げることができるからです。自分一人で決めたことなら、それで失敗したときは、自分一人が間違っていた、ということになります。

 

しかし、相談してお墨付きをもらっておけば、自分が決めたという責任を、相談相手にも押し付けることができてしまいます。

 

次に、人にアドバイスするのが好きな人の心理を考えてみます。

他人にアドバイスするだけなら、アドバイスに人が従わなくても、別に気にすることはありません。

では、なぜアドバイスといいつつ、人が従わないと不機嫌になるのか?

それは、アドバイスすることそれ自体が、自分は責任を負わずに物事を動かすことができる、という目的のもとに行われているからです

アドバイスした人は、最終的に相手をそれに従わせることで、自分が決めたとおりに相手を動かすことができます。いっぽうで、あくまで「アドバイス」にすぎないので、間違っていた時の責任は負う必要がありません。

 

 

だから、この二者というのは、本質的には同じ、「自分が物事を決定しておきながら、責任は負わない」という目的のもとに行動しています。

だから、この二人が会話をすると、本来相談したい人とされたい人だから一見利害が一致していそうなのに、険悪なムードになってしまいます。

相談したい人の側は、頼んでもいないのに役立たないアドバイスを押し付けられた、と感じて不愉快な思いをします。

一方で、相談された方は、相談しておいて、結局いう通りにならないなら何のために相談しに来たんだ、とこれまた不機嫌になります。

 

 

この関係というのは、結局のところ、お互いに自分が決定権を握って、責任を相手に押し付けようとするという不毛なゲームを繰り返しているだけなので、不幸な関係性にしかなりません。

 

これに陥らない方法というのは、自分で決めて、自分で責任を持つ、という原則に戻るしかありません。

アドバイスを受ける側はアドバイスとしてもちろん尊重するけれども、最終的に決めるのは自分であるという意識を持つ。一方で、アドバイスする側も、アドバイスはあくまでその人のためにして、自分のためにするわけでないこと、決めるべきはあくまで相手であって自分でないことを意識する。

 

先日の記事で上司が部下への「指導」と「指示」を分けることを推奨しましたが、上司と部下の関係も、まさにこのようなところがあるのではないかと、自戒を込めて。

 

   

 

※前回記事は多くの方に読んでいただき、ありがとうございました。この記事も、気に入っていただけましたら、是非シェアをよろしくお願いいたします。